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連関資料 :: 国語

資料:876件

  • 国語科概論リポート
  • 『「ことばの学び手としての児童に教えること」について、具体的な例を示して論じなさい』 はじめに 我が国の国語、日本語を学校において学習することは生涯にわたって日本で生活していく上で必要不可欠なことであり、かつ重要なことである。国語科教育に携わる教師はまずこのことを肝に銘じ、日々の教育活動にあたらなければならない。では、生徒児童に対しどのように国語化教育を施していけばよいのであろうか。国語科教育を「話すこと・聞くこと」「読むこと」「書くこと」の3要素に分類して考察していくことにする。 2.話すこと・聞くこと  学習指導要領における小学校国語科の目標は「国語を正確に理解し適切に表現する能力を育てるとともに、思考力や想像力及び言語能力を養い、国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる」となっているが、その土台を形成するために「話すこと・聞くこと」に対する指導を行っていかなければならない。  なぜなら、乳幼児期といった初期段階における人間の言語習得は「(人の話を)聞く」ことから出発するのであり、聞いた事を覚えることにより次段階の「言語を話す」ことに繋がってくるためである。よって「話すこと
  • 国語科概論 ことばの学び手 佛教大学 B評価 通信課程
  • 550 販売中 2009/03/26
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  • 小学校国語科教育について
  •  石原千秋著「秘伝 中学入試国語読解法(新潮撰書)」について考察してみたいと思う。まずこの本は夏目漱石を専門とする大学教授の著者が息子の中学受験を機に国語について考えたものである。現代の国語指導の矛盾点や非合理性を鋭く抉り国語階に新風を起こしたといわれている。私の感想として、題名の通り入試に必要とされている能力をまるでゲームを解くように紹介しており、非常に面白いものであった。塾や予備校のような解法で国語に取り組む石原論は現在の国語教育とは明らかに違い、印象は強烈であった。特に「いま『国語』がやっていることは『道徳教育』である」「子供たちはルールを説明されないままゲーム(試験)に参加させられているようなものである」「『道徳教育』を目的としている以上『国語』で教えることの出来るテーマはごく限られている」「入試国語は受験者と採点者との格闘技なのだ」という言葉は強烈であった。
  • レポート 教育学 小学校国語 石原千秋 トップダウン
  • 550 販売中 2006/02/22
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  • 国語科教育法
  • 『「やまなし」の教材研究を行なうとともに、事例(p.142-170)の児童の発言を考察しなさい』 第1節 「やまなし」の教材研究  「やまなし」は、宮沢賢治の独特な造語や比喩表現などが駆使された、象徴的・幻想的な作品であり、言葉一つ一つからいろいろな想像が広がって、場面の情景や登場人物の様子などを豊かに想像することが可能で、児童にはぜひ読ませたい作品である。また、不思議だけれど何か心ひかれるような、そして、初めて聞くのになぜか昔から知っているような気持ちを抱かせる宮沢賢治の童話の魅力を存分にもつ作品である。  指導するに当たって、感じたことから素直に想像を広げていく楽しさを味わえるようにすることが大切である。自分の感じたことと、友達の感じたことを比べ、「どちらが正しいか」ではなく、それらを合わせて、場面の情景や人物の様子などを、より豊かに想像する楽しさを感じられるようにすることが大切である。 作品中には、「クラムボン」、「イサド」などの賢治独特の造語、「かぷかぷ」、「もかもか」などの賢治ならではの擬音語や擬態語、そして、数々の美しい比喩表現など、印象に残る言葉が数多く見られる。また、「かわせみ」と「やまなし」、昼と夜、動と静、生と死などが対比的に描かれた「五月」と「十二月」の世界の違いや、反対に二つの世界に変わらず共通するものを考えることで、「生きること」の意味を感じることが出来るかもしれない。「やまなし」を読みながら、賢治の描いた世界を読み味わい、「自然」や「生命」などについても考えてみたいものである。 第2節 「五月」と「十二月」の比較  前述したとおり、「やまなし」には「五月」と「十二月」という二つの異なった世界がある。それぞれの世界の違いや共通するものについて、児童がどのように感じ、考えたのかを、授業記録の児童の発言から考察していきたい。 考察① 児童①01,02 この児童の発言から、五月の内容をよく復習・理解した上で十二月の内容をしっかり読み取っていることが分かる。全体的な流れから、五月と十二月の対比を感じ取り、かにの兄弟の成長を読み取っていると思われる。 このような、「五月」と「十二月」の比較・かにの兄弟の成長、という作品の特徴を適確に捉えた発言が授業の初めにくることで、後の授業が展開しやすくなった。そのため、非常に良い授業の入り方ではないかと思う。 考察② 児童④06,07,08 この児童は、「丸石」=下流、「岩」=上流という、「やまなし」で学んだこと以外の知識を応用して発言している。そこから、「五月」と「十二月」の世界がまったく違うものだと感じ取っている。作品の中の世界だけに捉われず、一般的な知識も活用することで、より一層、作品の世界観が広がるのではないだろうか。 考察③ 児童①58  この児童の発言はそれまでの発言を参考にしているのではないだろうか。この発言の少し前に、五月から十二月にかけての成長についての議論がなされていたため、この児童もそれについて考えていたと推測できる。そして、直前の57の発言を受けて、二つのことを合わせて考え出した結果、このような結論に達したと思われる。  以上、いくつかの発言について考察してみたが、比較的に「五月」と「十二月」の対比については読み取ることができている。 第3節 児童の想像力 次に、作品中の「クラムボン」、「イサド」などの造語、「かぷかぷ」、「もかもか」などの擬音語や擬態語など、宮沢賢治独特の世界観を、児童がどのように想像したのかを考察していく。 考察① 児童②03,04  この児童は、指
  • 佛教大学 レポート 国語科教育法 やまなし 教材研究
  • 550 販売中 2008/03/28
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  • 国語科教育法
  • 「やまなし」の教材研究を行うとともに、事例(p.142-170)の児童の発言を考察しなさい。 ・ 第1節 教材観について 「やまなし」は1924(大13)年4月8日付「岩手毎日新聞」に発表され、原稿は現存しないが、先駆形の原稿が残っている。「童話的構図」および「花鳥童話集」中の一遍である。「花鳥童話集」においては、死の主題と美の主題、滅びと永遠とのかかわりを一貫して追求している。とりわけ「やまなし」の言語美は極限的である。宮沢賢治独特の造語や様々な箇所に比喩表現が使用され、非常に幻想的な作品である。象徴的で、幻想的な作品であり、「クラムボン」や「イサド」といった造語一つ一つからいろいろな想像が広がり、場面の情景や登場人物の様子などを豊かに想像することが可能である。 作品は語り手の「小さな谷川の底を写した、
  • 国語科教育法 やまなし レポート 教材研究 事例 合格 佛教大学
  • 550 販売中 2008/05/19
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